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番外編☆自己紹介 その22

LA歴15年目、ディレクターの徳嶺です。

15年居ながらこのブログに登場するのはお初。
それでは私の15年を。

2002年、高校の先輩の誘いで入団。
高校を卒業する前から先輩の誘いでLAの人たちとご飯に行ったり、
当時は小さなホールで開催していたファミリーデーを見に行ったりしていました。

その時は入団するつもりはなかったのですがひょんな事から入団。
当時は高校を卒業したてで世間知らずだったので、
団費1,000円という説明を「1年間で1,000円」だと思い(この辺りが明浄)、
高校の友達も熱烈に勧誘して入団!

団費1,000円を払い1年後、滞納した団費11,000円を請求されて、そこでやっと世間を知る。
そして友達に「よーこに騙された!」と言われる笑

この年はとにかく楽しかった!女子校上がりでメンズとマーチをする事も初めて。
力強いサウンドとビジュアル!カッコいい!!積み込みの時に重たい楽器をメンズが運んでくれる!
ついこの前まで鍵盤やらティンパニーを自分が運んでいたのに!LAってなんて素敵なの!

しかも練習終わりに大人達が美味しいご飯屋さんに連れて行ってくれる。
高校のクラブとは違った、一般バンドの楽しさと世間を知りました。
(因みにマウスパイプの凹みを直すのにお金がかかる事を知ったのもこの年。
世の中何でもお金なんですね、ビックリです!)

この年は、私のその後の人生を変える大きな1年でした。
元々高校卒業後、DCIに行く事が私の大きな夢でした。
2001年にNYで同時多発テロがあり、いきなりアメリカの団体に入るのは怖かったので
2002年はヤマトでDCIに参加。
これがひょんな事でLAに入団をしたきっかけでして、ヤマトのソプラノのスポットが空いていて、
LAに1人DCIに興味があるという子がいて、

その子をヤマトに連れて行く代わりに、
LAもチューバのスポットが空いているから入団してくれないか?

という、交換条件的な感じで入団しました(^^)

因みにこのソプラノプレーヤーとはこれをきっかけに生涯の友になりました。

LAで大人のマーチをする新鮮さに刺激を受け、ヤマトでは本場のマーチに触れ、
もう私の頭の中はLAとDCIでいっぱいになりました。

騙した人と騙された人

騙した人と騙された人

2003、2004年、アメリカのチームでDCIに参加!
理解あるLAの人達が、オーディションの練習を一緒にしてくれたり、
ソロ用の楽譜を書いてくださったりしてくれました。

チューバを30分だけでも吹くために、バイトが終わってから自転車で片道30分かけて太間に行き、
少し吹いてまた帰るの繰り返し。
更に友達も巻き込んで休みの日は太間で練習!
お正月も「初吹き」とか言って練習しに行き、
あまりの寒さに友達の鼻が凍傷みたいに黒くなったのも良い思い出。
練習の後はもちろん行きつけの中華屋さんへ。

この頃は飛行機代やらを捻出するためにとにかく貧乏生活でした。
安い中華屋さんでも頼むのはライスのみ。
そんな私達を見かねた店のおっちゃんとおばちゃんが
いつもスープと餃子をコッソリご馳走してくれてました。

本当に周りの大人に支えられ、充実した毎日を過ごせました。

そして2002年でも書きましたように、私の頭の中はLAとDCIでいっぱいだったのと、
チューバプレーヤーとしてDCIに行くという意気込みが強すぎて、
その他の事がしょうもなく感じでしまっていました。
(今考えると損してる気が…)

誘われた合コンもしょうもなく感じ、ぶっ壊して帰るという最悪な人間。
その後の合コンも同じような事を続け、若くして合コンに誘われる事は無くなってしまいました笑

仕方がない、だってチューバプレーヤーなんだもん!(←かなりのバカ。)

この頃はスマホもデジカメもなかった。知らないおじさんが勝手に撮ってプリントしてくれた有り難い1枚。

Cadets~この頃はスマホもデジカメもなかった。知らないおじさんが勝手に撮ってプリントしてくれた有り難い1枚。

そんなこんなで2003年はColtsとLAでマーチ。
2004年はCadetsとLAでマーチをして、DCIは卒業しました。

そして、DCIに行くことが1番の目標だった私は目標を失い燃え尽き症候群に。。

LAも辞めようかと思っていましたが、ちょうどタイミング良く当時のスタッフから、次のスタッフをしないか?というお声を掛けて頂き、2005〜2009(2005は助手)をさせて頂きました。
これまでは好き勝手して楽しんでたけれど、スタッフになると意識が変わりますね。まずお酒を飲んで記憶を失くす事がなくなりました*\(^o^)/*

あとは…えーっと、そりゃもうたくさんの事を学びました、はい。

 

そして2009年で1回LAを辞めようと思い、同じく辞めるという友達と『イカ部』という謎の部活を作り、日曜に遊んでみる。

しかし、それも2回で終わってしまい、友達と共に再びプレーヤーとしてLAに戻る!
3ヶ月弱しかLAを離れれませんでした!やっぱりLAしかない!と確信!!

イカ部@東大寺

イカ部@東大寺

プレーヤー復帰。本番中じゃないですよ!パート写真中~

プレーヤー復帰。本番中じゃないですよ!パート写真中~

 

 

 
2010年にプレーヤーに戻る時、4年のブランクがあってかなり心配でしたが、
想像していたよりは出来ました。
ただ、DCIに行っていた時ほどの筋肉がなく、体の使い方はわかるけど
筋肉が足りなくて出来ないという状態だったり、体の柔軟性の大切さを知ったり、
これがまた大変勉強になりました。

あと…4年ブランクがあったせいか、
「俺はチューバプレーヤーだ!」という意地も程々になったのと、
変わった趣味の方がLAに在籍しておりまして、結婚もしました。

合コン破壊王で、チューバラインの中ではコイツらには負けない!と男性を敵視していた私が、
LAで色々な経験をしてだんだん丸くなっていたんですね〜。

そして私が只今LAで挑戦している事は、「既婚女性がどれくらいLAを続けられるか」です!
男性は既婚子持ちでも続ける人を何人も見ましたが、
女性は結婚してしまうとどうしても離れていってしまいます。
プレーヤーではなくとも何かでLAを続けていけないか?それは不可能なのか?を身を以て実験中。

この15年の中に、飲食店で割り箸でテケテケして遊んでたら飛んでいって、
関係ない席のコップにホールインワ〜ン*\(^o^)/*事件や、
今やLAの重要イベントの1つであるインオカのパレードに仮装で出る事になったきっかけが
実は私達(当時の明浄’s)だったりと色々ありました。
詳しく聞きたい方は是非LAにお越し下さい笑

LAの仮装のきっかけになった2人。

LAの仮装のきっかけになった2人。

かなり長〜い自己紹介になりましたが、

この15年、毎週練習練習で、他の友達と遊びに行ったりがあまり出来ませんでした。
遊びに行きたいな〜と思う事も多々ありましたが、LAをやってるからそう思うだけで、
実際LAを離れた3ヶ月間(イカ部ですよ〜)は暇でした。

この歳になってもLAを続けててよかったと思う事は、
一回り以上下の子達と同じ目標に向かって活動出来る事、
会う約束をしなくても毎週末に仲間に会える事、
音楽を通じて貴重な体験が出来る事。

これは、私の宝物です!

このバンドに入ってとても楽しかった。
そしてLAしかしていないけど、沢山の事を経験し学びました!
これからの子達にもそういう場所をつくっていけるよう日々頑張りたいと思います。

最後になりましたが、これからも”赤い集団LA”の応援よろしくお願いします。

前ディレクター*新ディレクター*元ディレクター

前ディレクター*新ディレクター*元ディレクター

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